偽善でいいじゃない
こんにちは、ナスです。
土曜日です!会社員の方々、お疲れ様です。
今週もお互い頑張りましたよね〜肩こりが辛いです。
さてさて、今回は以前あった出来事によって考え方が少し変わったお話です。
「あの人は偽善者だ」「偽善者が嫌い」「私のしたことって偽善?」っていう考えや話を聞いたことがあるかと思います。
かつて、人に「あなたのしたことは偽善でしかない」みたいな言い方をされたことがあります。
当時は「え、偽善だったのか?喜んでほしいという自分の自己満足だったのか?」と少し悩んだことがありました。
その時、相談した人に言われたことがその時の私の救いになったので共有したいとおもいます。
「偽善っていいこと。たとえば貧しい国の人に使い古した服をあげたとする。それは自分は寄付していい人と思われたいと思ってしたことだとしても、着る服がなくて困っていた人からすると、どういう理由で送られてきたものであっても”着る服を送ってくれた”事実は変わらない。お金と一緒で、その服に名前も、贈られた経緯も書かれていない。結果的に服が着れて満足な人、服を送って満足な人がいるだけ。お互いに嬉しいんだから偽善でいいじゃん。」
とそんなふうに言われたことがありました。
見返りを求めるような善は、もはや偽善でもなくビジネス。
「これをしてあげたんだから見返りをよこせ」はさずがにただの強欲。
誰かのためになることは偽善でも善には変わりない。
誰かのためになるようなことは初めから自分の利益と思ってしてるほうが、偽善ができた自己満足ができる。
まぁ、自己満足の偽善でも誰かのためになるならどんどんやったほうがいいよねって話でした。